[ 異郷 no.07, 1999.10.2 発行より]

  シュウエツ家訪問顛末記

昨年の春、研究会でも何度か話題になっていたヴァレリー・シュウエツ氏が、突然亡くなられた。氏が子どもの頃には、函館に住んでいたということを聞いていたので、生前にお目にかかれなかったことが大いに悔やまれた。

しかし、つくづく運がよかったと思うことが起きたのである。去る7月のある日、ロシア極東国立総合大学函館校の知人から、「シュウエツさんという名前の若い女性が、先祖の墓があるはずだと、今函館に来ているんだけど、知ってる?」と電話をもらったのである。ちなみに同大学は、昨年からボランティアで、ロシア人墓地の修復や清掃をするという善行を続けているのである。これは何としても彼女に会わなくてはならない。

それから間もなく、亡くなったシュウエツ氏の次女であるエカテリーナさんが私の勤務先に現れた。私たちは1時間ほども話しこんだろうか。

 その内容は、シュウエツ家のことはもとより、私が長く調べてきたデンビー家についても、亡きシュウエツ氏は、実に深いつながりを持っていて、遺品を保管されていることなど、聞けば聞くほど貴重な情報が出てくるのである。

 彼女が帰ったあと、私はまた新聞や資料をひっくり返して、シュウエツ家のことをおってみた。おぼろげながら、昭和の初期に毛皮商としてかなり成功していたことがわかってきた。たぶん、サハリンやカムチャツカなどとのネットワークがあったのだ。

 7月30日、研究会で上京した機会に、西麻布にあるシュウエツ家を訪ねた。シュウエツ夫人とエカテリーナさん、大きな犬二匹とロシア産の人なつこい猫一匹が迎えてくれた。家の中は、アンティークの家具や陶器などで飾られ、まさに洋館そのものであった。

 ここで拝見させてもらったのは、箱いっぱいの古写真や書類で、シュウエツ家のルーツをひもとく大事な資料であった。その日は無理だったので、後日これらの複写をさせてもらうことをお願いしてきた。

 さらに、この日初めてお会いした夫人が(長崎のご出身であり、長崎のロシア人のことも知っている)、戦前函館にいたロシア人たちの消息をご存じだったのも、望外の喜びであった。いずれ詳しくお話をうかがう予定である。

 それから東京のポドヴォーリエのことも、シュウエツ氏は深く関わっていた人であり、興味深いお話が聞けそうである。私の記憶違いでなければ、「年史」が編まれる予定だという。

 当面は、シュウエツ家の歴史資料を拝見させていただき、一家の歴史やさらに旧函館在住のロシア人たちの足跡を記録していきたいと思っているが、折をみて研究会で報告できれば幸いである。

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